• 1940
  • 1987
  • 2012
  • 2020

Story

KOAは創業期から伊那⾕に⼯場を設⽴し、これまで伊那⾕に住む⼈たちとともに⽣きてきました。互いに⽀え合い、伊那⾕から⽇本、⽇本から世界へと信頼をさらに紡いでいます。伊那⾕から始まり、グローバル企業となった今も伊那⾕を思い続ける気持ちは変わりません。創業からの軌跡をご覧ください。

KOA STORY

壊れゆく、ふるさと伊那⾕に
太陽を

⻑野県南部の中央アルプスと南アルプスの間に南北に横たわる「伊那⾕」。⼆つのアルプスが⽣み出す幾筋もの清らかな流れと、諏訪湖から流れ出す豊富な⽔が天⻯川となり、⾕を縦断しています。この豊かな⾃然に恵まれた⾕は、かつて⻑野県内でも有数の養蚕地帯でした。

明治から昭和初期にかけて、伊那⾕に住む⼈々の多くは稲作などを続けながら養蚕で現⾦収⼊を得て⽣活していました。暮らしは決して豊かではありませんでしたが、⼀定の収⼊が確保されていました。ところが昭和4(1929)年の世界恐慌で繭価が⼤暴落。現⾦収⼊が断たれた農家の暮らしは⼀気に苦しくなっていきました。
疲弊したふるさとを何とかしたいと⼼を砕いたひとりの⻘年、KOAの創業者・向⼭⼀⼈(むかいやま・かずと)です。

向⼭⼀⼈は⼤正3(1914)年、農家の⼆男として⽣まれました。⼗代後半の多感期に貧しい農村の厳しい⽣活を⾒せつけられた向⼭は19歳の春、電気技師を⽬指して上京。働きながら早稲⽥⾼等⼯学校に学びます。卒業後は研究所勤務などを経て、やがて当時の東京市荏原区に抵抗器を製造する「興亜⼯業社」を設⽴しました。そして翌年、故郷「伊那⾕」に念願の伊那⼯場を設置したのです。「⽗⺟を楽にさせてあげたい」「ふるさとを少しでも豊かにしたい」と⼀念発起して上京してから8年、27歳の英断でした。これが、向⼭の夢である「伊那⾕に太陽を」「農⼯⼀体」の第⼀歩となりました。

POINT

国内
⽣産⽐率
70%

当社は、ふるさとの伊那⾕に⼯業を興すことで、村⺠が安定した収⼊を得られることを⽬指して創業しました。今もこの理念は変わらず、地域の雇⽤を守るために約70%以上を国内で⽣産しています。

創業者 向⼭⼀⼈ 1940年社⻑就任 創業者 向⼭⼀⼈
1940年社⻑就任

左:興亜⼯業社伊那⼯場(1943年) 右:当時のL型抵抗器 左:興亜⼯業社伊那⼯場(1943年)
右:当時のL型抵抗器

⽇本から世界へ

その後、向⼭は伊那⾕の疲弊した農村地帯に次々と⼯場を建設。農業を営みながら⼯場勤務で現⾦収⼊が得られる道を地域の若者たちに提供しました。現在のKOAにも受け継がれている経営理念「農⼯⼀体」が本格的に展開されたのです。
向⼭が「伊那⾕に太陽を」を合⾔葉に「農⼯⼀体」論を唱えて興したKOAは、地域の雇⽤を守りながら、1967年には台湾に合弁会社⼤興電⼯股份有限公司を設⽴し、炭素⽪膜抵抗器の⽣産を開始。その後もアジアやヨーロッパ、北⽶などにも進出し、現在は7か国に14の拠点を展開しています。

海外拠点でも国内と同じように、現地の⼈々との信頼関係を最優先に事業を続け、創業から80年が経過した今、世界の固定抵抗器市場でトップシェアを誇る電⼦部品メーカーに成⻑しました。お客様の6割以上は海外ですが、全製品の75%以上を現在でも伊那⾕で作り、創業の精神を守り続けています。

また、KOAは⻑野県内を中⼼に世界と渡り合える優秀な企業を次々と誕⽣させました。「向⼭さんが戦後伊那⾕産業の基盤をつくってくれたおかげ」と感謝する経営者も少なくありません。平成7(1995)年に惜しまれながら81歳で他界した向⼭の魂は、KOA社内はもちろん、伊那⾕をはじめとする⽇本国内や世界各地で今も⽣き続けています。

POINT

拠点数
35拠点

国内海外の拠点数は35拠点あり、そのうち⻑野県内に12拠点、その他⽇本国内に9拠点、海外に14拠点を構え、グローバルにビジネスを展開しています。 ※2022年時点

2012年竣⼯当時の七久⾥の杜 2012年竣⼯当時の七久⾥の杜

ドイツの拠点VIA2の社屋 ドイツの拠点VIA2の社屋

組織改⾰で
経済危機を乗り越えろ

1980年代以降、特に85年のプラザ合意以降は、急激な円⾼、開発途上国の市場参⼊による市況の変化や価格競争の激化といったさまざまな要因によって、経営環境は激しく移り変わっていきます。さらにその後も、2001年にはドットコムバブルが崩壊し、2008年にはリーマンショックが起こり、と度重なる経済危機を迎え当社も危機に直⾯しました。

このような経営環境の変化に的確に対応していくために、当社は1987年4⽉からものづくりの現場改善であるKPS(KOA Production System)をスタートさせます。1987年のKPS-1には、経営のムダを徹底して廃除し、新しい経営システム作りを全員参加型で改善を⾏いました。2001年のKPS-2には、世界市場・お客様とのパートナーシップを築き、お客様からご指名いただける会社になるために、「Quality 1st」「事業構造改⾰」「収益性の向上」に取り組みました。2010年のKPS-3からは、社員⼀⼈ひとりが⾃分のお客様とその先にある世の中や市場の変化を意識し、⾃分やチーム、当社が今までできなかったことにチャレンジしています。

このように組織改⾰を繰り返すことで、これまでの経済危機を乗り越えてきましたが、当社の改善活動は今も変わらず続いています。

POINT

KPS
活動期間
40

全員参加の経営改善活動(KPS)は開始から30年以上経つ今も継続しております。現在は第3ステージとして、将来のイノベーションへ向けて基盤技術をベースとしたKOA の開発⼒を活⽤し、市場・お客様に新たな価値を提案するビジネスモデルの創出を⽬指しております。

KPS活動の実践⾵景

KPS活動の実践⾵景 KPS活動の実践⾵景

お客様と“新たな価値”を
共創する
研究開発型企業へ

KPSを30年近くにわたり継続してきた当社は現在、その第3ステージとして、将来のイノベーションへ向け基盤技術をベースとしたKOAの開発⼒を活⽤して、市場・お客様に新たな価値(New Value)を提案するビジネスモデルを創出することを⽬指しています。

当社は80年を超える歴史において、抵抗器を中⼼とする電⼦部品事業を拡⼤する中で、材料技術、加⼯技術、評価技術といった様々な基盤技術を蓄積してきました。この基盤技術をさらに深掘りし連携させ、また先端研究機関やパートナー企業様とのオープンイノベーションを進めることにより、お客様と⼀緒に新たな価値を共創する研究開発型企業を⽬指していきます。

POINT

研究
開発費
26億円

当社の研究開発費は25億9,800万円(2022年3⽉期)。未来に向けた「新たな価値の創造」を意識し、新事業・新製品を開発するべく研究開発を積極的に⾏っています。

未来へ向けて新たな価値をお客様と創造する